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【79回目のゲスト】
真島ヒロ先生への30の質問
1.デビューはいつごろですか? 20歳の頃 2.デビュー作のタイトルは? 『MAGICIAN』 3.デビュー作の簡単なストーリーを教えてください 廃部寸前の魔術部が拾ってきた犬をめぐって、謎の組織と戦うコメディ 4.デビュー作でもっとも描きたかったことは? ピンチなのに手品してるアホな主人公 5.デビューした雑誌は? 週刊少年マガジン 6.どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など) 新人賞(入選) 7.デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか? 原稿に描き始めてからは2年、ノートに描いたらくがきマンガを期間に含むと15年くらい 8.またそれは何作目ぐらいでしたか? 3〜5作目 9.その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか? ゲーセンのアルバイト 10.その頃は本気でマンガ家を目指していましたか? もちろんです! 11.もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事に就くつもりでしたか? ゲームデザイナー 12.マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか? 子供の頃から夢だったので喜んでくれました 13.目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください 鳥山明先生、ゆでたまご先生、田中宏先生 14.そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか? 全部です 15.デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか? クロムハーツのペンダントトップ 16.デビューが決まった時の感想は? うれしかったです。これでプロになれるとはやとちりもしてました 17.デビュー作が実際に雑誌に掲載されたときの感想は? 感動しましたが、すぐに落ち込みました。一緒に掲載されているプロの作家のレベルの高さに初めて気が付いたのです 18.デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか? 自分のやりたい事。から、読者の読みたいものを描こうと、少しずつですが変わっていきました 19.デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか? 週に2〜3回程度 20.その頃編集者との打ち合わせでためになったことは? めくり、大ゴマ、見開き等、専門的な事全てです 21.逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか? 専門的な用語や、若かったため自分に理解力がなかったことです 22.編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか? ネームをよんでもらい、感想を聞き、互いに意見を出し合い、よりよい作品を作ろうとしていました。今でも同じです 23.編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください 初めて連載会議に出した時、落選してしまって、普段温厚な担当が僕よりも「納得いかない!! 絶対面白いのに!!」と怒っていたことです 24.デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか? あまりいませんでした 25.デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かしたこと、勉強したことなどはありますか? とにかくたくさん描きました 26.デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだことなどはありますか? 絵のレベルが低すぎた事です 27.デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点? 15点 28.またその理由は? 絵もストーリーも構図も荒削りすぎです。しかし、当時の全力を出しきった点と若さにまかせたいきおいは今でも忘れてはいけないことと思うので15点くらい 29.マンガ家としてデビューするために必要なことはなんだと思いますか? 自分の未来、読者、作品に対するあらゆる想像力 30.これからマンガ家を目指す人達になにか一言 若いうちはマンガだけでなく、なるべくたくさんのエンターテインメントにふれてほしいです。映画、ゲーム、小説、舞台、その全てが自分のひき出しになり、のちの力となります。そしてたくさん描いて下さい |
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