まず今回は、武論尊先生に
“少年時代”について語っていただきました。
「どんな環境であったか」、
「どんな少年であったか」、
「どんな夢を持っていたのか」、
そして、武論尊先生が「どんなふうに漫画と出会い」、
「どんな影響を受けていったのか」………。

●まず最初に、先生の少年時代についてお聞かせいただきたいのですが

一言でいえば、漫画本買えない世代。っていうか貧乏。

月刊誌の、付録がついてる、
月刊「少年」(光文社)だとか「少年ブック」(集英社)だとかの時代だよな。
とにかく、長野県(先生の出身地)って漫画文化って遅いのよ。
だから…、漫画ファンていたんだけど、今もそうだと思うけど、
長野県ってたぶん売れ行き一番悪いと思うんだ、全県の中で。
教育県っていうけど、ようは漫画に関してかなり遅れてたっていうか、
読者少ないところ。

でもクラスの何人かが買ってたの見てたり、
あとは、ばあちゃんの財布から(金を)抜き出して…。
付録が魅力だったんだよ。『戦艦なんとか』とか付くでしょ。
そうすると欲しくてしょうがないわけ。
だからばあちゃんの財布から抜き出しちゃあ、……買ってたけどね。
でも、それ買ったら、金はどうした、どこで買ったって言われるの困るから、
みんな捨てちゃってたんだけど、付録だけは全部取ってな(笑)。
とりあえずは小さいころの思い出っていやあ、そういうかんじかな。



●いくつぐらいのときですか

小学校だな、小学校2〜3年? 
週刊誌時代になったのは、15歳で自衛隊入ってからだと思うから。
それまでは全部月刊誌の時代だから。
あとは5円、10円で貸本屋行って…。

とにかく覚えてる漫画ってのは、寺田(ヒロオ)さんのか。
『スポーツマン金太郎』ぐらいかなあ。
あとはもう、付録が欲しくて、買ってたような時代だよな。
だから、漫画ってのに関してはそんなに…、好きは好きだったんだけど……、
漫画が欲しくって漫画買ったっていうよりも、最初は付録が欲しくて買って、
そのあと、やっぱり漫画が面白くなっていったのかなあ。

その『スポーツマン金太郎』でしょ。そのころは、幼いでしょ、まだ。
それがちょっと大きくなって、『ストップ!にいちゃん』とか、
あのへんから漫画ってのは面白いなってなって。うん…。
あと、あの人。あれが見たくって、なんだっけな…、
山根一二三さんていう人のね、『ごろっぺ』とかね、ギャグ漫画なんだけど。
知らないだろ? それはかなりマニアなんだよ。
山根一二三さんの『ごろっぺ』…タイトルおぼえてるな。
それか杉浦茂の…、『猿飛佐助』。
だから、コメディーっていうか、ギャグ漫画から入っているなあ。


[編集メモ]
*『スポーツマン金太郎』トキワ荘の若い漫画家のリーダー的存在だった寺田ヒロオの人気作。昭和34年〜38年、小学館 少年サンデー
*『ストップ!にいちゃん』関谷ひとしのユーモア抜群の学園ヒーロー漫画。昭和36年〜、光文社 少年
*『ごろっぺ』山根一二三の爆笑時代劇。昭和31年〜34年、集英社 おもしろブック
*『猿飛佐助』杉浦茂のナンセンス・ギャグ。昭和29年〜31年、集英社 おもしろブック



●シリアスな作品は?

シリアスは『ストップ!にいちゃん』…、関谷ひさしさんだなあ。

あとは、ちば(てつや)先生が出てきて…。
ちば先生はねえ、なんで知ったのかなー。
一番最初は……、『ちかいの魔球』か。
でも、『ちかいの魔球』は週刊誌になってからだろう。
確か、マガジンで最初だもんな。
小学校は、やっぱり『ストップ!にいちゃん』だと思う。
ちば先生、まだ少女誌だったと思うよ……。

[編集メモ]

*『ちかいの魔球』原作/福本和也 昭和36年〜37年、講談社 少年マガジン


(突然ぽつりと)ほんとに漫画を買えない、買うには、
ばあちゃんの(笑)財布から抜かなきゃいけないっていう悲しい人生だよ(笑)。



●父ちゃんの財布では?

父ちゃんはおっかないもの。
ばあちゃん怒らない。わかってても


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