
●白泉社『王狼』、『王狼伝』、『ジャパン』については?
【編集メモ】
*『王狼』1989(H1)年 5月号~7月号 白泉社 月刊アニマルハウス 漫画/三浦健太郎
シルクロードで行方不明になった歴史学者・伊波健吾。
彼は13世紀のジンギス・カンの生きる世界にタイム・スリップしてしまっていた。
源義経伝説をからめた空想歴史ロマン。
*『王狼伝』1990(H2)年 2月号~6月号 白泉社 月刊アニマルハウス 漫画/三浦健太郎 同上続編。
*『ジャパン』1992(H4)年 1号~8号 白泉社 ヤングアニマル 漫画/三浦健太郎
美人テレビレポーターに一目惚れしたヤクザ・屋島克二が突然の大地震によってタイム・スリップした未来は
2031年、日本民族が滅びた世界だった。衝撃のSFロマン。
たまたま、銀杏社を辞めて白泉社に入った編集がいて、
その編集から電話があったのかな。
それで会いましょうかって言うんで会ったら、
当時の白泉社の専務だったおじちゃんがいきなり来て、
お願いしますって言われて(笑)。
専務自らゴルフの招待と、ゴルフ行ったら宴席が用意されてて…、
その場でにっちもさっちもいかなくなって(笑)、
じゃあ、やりましょうって話になって…。
で、そうこうしているうちに、
アニマルハウスが少年誌で苦戦してて、
なんだか相談に乗ってください、みたいな話になって。
そしたら、『ベルセルク』(白泉社 月刊アニマルハウス
1989年10月号~現在、ヤングアニマル連載中)かな?
三浦(健太郎)君が少し煮詰まってて、休むってことで、
三浦君でなんとかなりませんかって…。
すでに『ベルセルク』を何度かやってる途中で…、
中断してだと思う。
それで俺と『王狼』やって、『王狼伝』やって、
またもう一つ『ジャパン』ってのやって、
そうしてたら、だんだん本が調子よくなってきたんだ。
それで三浦君、『ベルセルク』でもうそろそろいいだろうと思って、
俺が卒業しようとしたら、向こうはまだ困っていたんだけどね、
ただ『ベルセルク』って、三浦君まだ絶対描けるから、
変なのやるんだったら、『ベルセルク』を続けたほうがいいよって…。
そうやって『ベルセルク』の続きをやっているうちに、
ブレイクし始めたんだ、三浦君がね。
だから、そういう意味では、休憩もよかったろうし、
俺と組んだのもよかったろうし…、
三浦君にとっては、すごいいい形になったんじゃないか。
そのあとかなりブレイクしたからね。
●三浦健太郎先生の絵の印象は?
やっぱり、迫力のある絵を描いてて、
あー、画力あるなぁと思うんだけど、
ストーリー的に広がりがなかったっていうか、
どうしてもマニアックなほうへ、マニアックなほうへ入るから、
それを編集サイドは直したかったってのがあるんじゃないかな。
それって、よくあるでしょ。
俺の仕事で、新人を…、なんて言うの、
ドラマの作り方の基本を教えてやってほしいみたいな。
そういう思いが基本的には向こうにあったと思うんだけどね。
教えてやるっての、ちょっと変なんだけど、
起承転結とか…、構成の仕方とか…、
ほら、若い子達って、
編集から教えてもらうようでもないような感じがあるじゃない。
そういうのを自然に覚えさせるために俺をひっぱってって…、
だから、一種の枠にはめるってことなんだろうね。
ほっとけばどっか行っちゃうでしょ、新人ってありがちに。
だから、それを覚えさせようってのがどっかであるのかもしれないね。
『右向け左』がそうだったわけ。
そういう使われ方をしていたってのがあるんだろうな、俺にね。
まっ、でも三浦君の絵は良かったし、
『王狼』と『王狼伝』は好きな作品だけどね、今でもね。
よく出来てるよ。
あの絵を活かすにはどうしようかってのがあって、
やっぱり…、ある種ファンタジー…、現代劇じゃないのよ、
あの絵を活かすのは。
そうするとやっぱり若々しい感じ、男っぽい感じ、
その中でのファンタジーなの。
それを考えたら、なぜか中国大陸で、なぜかジンギス・カンをやるって…。
俺の中でずっと源義経伝説ってのがあるからね。
じゃあ、1回、俺流に源義経伝説をジンギスカンとからめて、
作ってみようかなって…。
まぁ、うまくいった、うまくからんだ話だと思うけどね。
(『ジャパン』はメッセージ性がありましたよね)
そうだろうな、多分それを書きたかったんだろうな。
現代のダメな子供達が、タイム・スリップによって変わっていく。
やっぱり、それを描きたかったと思うんだけどね。
そこでヤクザっていう、やっぱりピュアな(笑)…、
感情的に直情で動く人間ってヤツを、
ずるい子供達とか、逃げる子供達ってのに対すと、
なんて言うのかな…、
一つの教えの中の基本になるわけじゃないか。
痛いものは痛い。悲しいものは悲しい。怒るときは怒るっていう、
そういう感情に直結して動く人間ってのを置いとけば、
という形があったから…。
まぁ、得意なパターンだね、俺のヤクザのね。
日本がつぶれて世界中で難民になっているっていう設定だよね。
これもタイム・スリップする話だな。
(『王狼』にしても『ジャパン」にしても、そういう設定に持っていったのは?)
現代劇で三浦君の絵を活かすってのは、
どうしても話が出来にくいんで、近未来や過去っていう、
どうしても舞台の大きさが必要なんだよな。
ビルじゃない、なんか荒野っていう、荒廃した場所とか…。
『北斗の拳』もそうなんだけど、
男の荒々しさとか、生き方を書くには、
現代の舞台よりも荒涼とした舞台のほうが書きやすいっていうか、
主人公が立つっていうか…、
まぁ、俺の中の一つのこだわりっていうか、
確信に近いものがあるね。
書く舞台ははこっちだって…。
舞台によっては、キャラクター全然動きが違うんでね。
現代劇だと、すぐ銃とか拳銃とか、なんか出すでしょ。
それより肉体の強さとか、精神の逞しさとか出すのは、
やっぱり近代兵器のないほうがいいからな。
(もし、また三浦先生と組むとしたら、何をやりたいですか?)
ないね(笑)。
俺、今仕事したくないの(笑)。
…………………………………………。
三浦君は自分のもの、持っちゃってるからね。
なんだろうな…、あるとすれば、
やっぱり歴史ものかもしれないね。
(今ぐらいになっちゃうと…)
そりゃあもう、『ベルセルク』の三浦健太郎になってるからね。
だから、難しいよね、逆にね。
もう、『ベルセルク』でいいんじゃないかって、
今はそれを苦しみながら完結させる形じゃないかなぁ…。
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