【有間しのぶ先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
1982年
- デビュー作のタイトルは?
『本場ぢょしこうマニュアル』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
女子高生のおバカな日常4コマです
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
女子高生のおバカな日常です
- デビューした雑誌は?
『ヤングマガジン』
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
月間の新人賞にオーボしたら佳作で、そのまま連載に
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
3〜4年くらいだったと思います
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
4コマでは最初の作品。トータルでは2〜3作目くらい
- そのころの本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
女子高生でした
- そのころは本気でマンガ家を目指していましたか?
わりと
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
考えてませんでした
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
すぐ飽きるだろう、くらいの無関心
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
特になし(目標と言うのでなく、好き、憧れの人は多かった)
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
売れてる売れてないよりも、独特の世界を持っておられる人が好きでした
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
友達とゴハン食べて、あとマンガを買ったりしたような
- デビューが決まった時の感想は?
「げ、4コマでデビューかよ」と思った
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
まず、パラ見して驚き、うれしはずかし。
すっごいカオ熱くなったのを覚えています
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
つか、元々何も考えていませんでした
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
1〜2回くらいしかしてません
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
地方にいたので、他の漫画家さんの話を聞けるのがうれしかった。
私生活の些細な話でも仕事のやり方でも何でもよかった
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
なし
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
たまーに電話
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
最初の担当さんが「新人にも礼儀正しく接してくれる」人だったおかげで、のびのびとやれて萎縮せずすんだと思います
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
5年くらいして上京するまで、周りに全然いませんでした
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特になにかした事、勉強した事などはありますか?
そう言われれば、ないです
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
自分を漫画家だと思うようになれたの自体、ここ数年です
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
2点くらい
- またその理由は?
自分が描いたモノへの採点が、だいたいいつもそのくらいです
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
描く事に対しビビらない
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
上に同じ
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1964年5月18日、会津若松市生まれ、B型。
1982年9月、講談社 ヤングマガジンより『本場ぢょしこうマニュアル』でデビュー。デビュー作ながら映画化されるなど、大人気を博した。
12年ほど放蕩とか放浪とか闘病とかあった後、1999年、祥伝社 フィールヤングにて『モンキー・パトロール』連載開始。
代表作に、『本場ぢょしこうマニュアル』、『ラブミーてんだい!』、『モンキー・パトロール』。
現在、フィールヤングで『モンキー・パトロール』、まんがくらぶ(竹書房)で『ホテルポパン』、ルチル(幻冬舎)で『青い芝生と甘い水』連載中。
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