【船堀斉晃先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
1992年
- デビュー作のタイトルは?
『彼はほんじゃまか』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
男アレルギーのOLのラブコメ
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
色っぽい女のコ
- デビューした雑誌は?
MRマガジン ハッピー増刊
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
第一回 MRマガジン新人賞 受賞後打ち合わせで
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
初めて描いたのは中2なんで‥‥8年?
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
数えてない
- そのころの本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
アシスタント
- そのころは本気でマンガ家を目指していましたか?
当然っス
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
考えた事もない
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
やったじゃんって感じ?
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
島本和彦先生
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
ノリ
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
飲み代
- デビューが決まった時の感想は?
ドキドキ。本当に載るのか?
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
本当に載ってるっ!
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
ない
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
多くて、週1〜2回
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
キャラクターの重要性
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
意識や知識、好みのジャンルの違い
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
編集部内で
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
ネームの赤ペン添削
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
大田垣康男
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特になにかした事、勉強した事などはありますか?
ネームを通すのに必死で、特になにかとは‥‥
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
自分の方向性
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
50点
- またその理由は?
構成・演出が未熟なため
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
運
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
どこで誰が見てるかわからない。一本でも多く描く事
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昭和44年11月22日生まれ。埼玉県在住。
1992年、MRマガジンハッピー増刊『彼はほんじゃまか』でデビュー。
その後、美少女系に移り『学艶七不思議』、『淫縛学艶』等を手がけ、美女と 「液体」表現のエロティックさには定評がある。エロス+ストーリーをともに満足させる作品を描ける実力派でもある。 車、メカ、女のコ、古代史と興味は幅広く、『リップス』『女王さまは中学生 !?』『ブルー・サーガ』など作品にもそれが色濃く反映されている。
現在、別冊ヤングマガジン(講談社)でエロ本編集者の生活を描いた『リップス』、ロードスタースポーツマガジンAiR(ネコ・パブリッシング)でロードスター好きの熱血大学生を描く『50:50(フィフティーフィフティ!)』を連載中。 コミックメガキューブ(コアマガジン)やフランス書院文庫では、イラストも 手がけている。 愛車はvivio GX-T。
なお『学艶七不思議』、『淫縛学艶』はアニメ化もされてます。
HP/堀鈴の部屋
http://boriring.com/
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