【ほしの竜一先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
ちょっとややこしいんですが、本名とや邦行でのデビューが1977年。
「ほしの竜一」のデビューは1982年です
(ギャグマンガで、とや邦行でデビューしてたので…)
- デビュー作のタイトルは?
『ローラーポリス 太陽刑事(デカ)』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
ローラースケートの少年チャンピオンが特捜刑事となっていろいろな事件を解決する
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
少年の勇気と正義感。少年刑事なんて、楽しいじゃないですか
- デビューした雑誌は?
『コロコロコミック』(ほしの竜一)
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
ほしの竜一デビュー前にカットとかイラストを描いてましたので…依頼です
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
漫画そのものは中学2年から同人誌で描いてましたから…
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
ちょっと数えられない…です
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
カット、イラスト描いて生活してました
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
もちろん。同人誌時代からプロのマンガ家志望です
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
マンガが好き!だけでこの世界に飛び込んだので…。???
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
マンガ家としてやっていけそうだ…とホッとしたんじゃないかな
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
感動させてくれるマンガ家さんは全て目標でした
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
感動しますもんね。面白い漫画は…
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
生活費です。そんなに沢山はもらえませんでしたから…
- デビューが決まった時の感想は?
うれしかったですね。連載だったので、これでプロとして胸をはれると思いました
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
勢いだけで下手くそだな…という感想です
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
読者に対するインパクトのあるアピール
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
プロットの打ち合わせと…ネームの直しは何回やったか…?
すんなりとはいかなかったのは確かです…
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
絵、構図、エピソード、全てにインパクトのあるアイデアが必要だという事
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
インパクトのあるアイデアがなかなか……。勢い重視の編集方針でしたから
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
編集部か近くの喫茶店です
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
徹夜つづきのため、打ち合わせの待ち時間に眠ってしまったのだけど、
その編集さんはしばらく寝かしててくれた…。その優しさが嬉しかった
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
細井雄二氏、すがやみつる氏
同人誌の先輩たちにはいろいろ教えてもらいました
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
シナリオ教室に通ったりしました
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
カット描きやアシスタントもしてましたから、マンガオンリーの生活で…不安はずっと持ってるけど、夢中でしたから特に悩むという事は……
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
55点〜60点くらい…
- またその理由は?
プロぎりぎりの点数でしょ
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
デビューは読者に対しての冒険的なアピール…かな
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
自分の信じる道を行くしかないでしょ
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愛知県出身。1977年、『とや・邦行』でギャグマンガ、デビュー。1982年「ほしの竜一」でストーリーマンガ、デビュー。作品は『ローラーポリス太陽刑事(デカ)』(原作・古沢一誠)コロコロコミック。のち、発表の場をコミックボンボンに移し、『ファミ拳リュウ』、『鎧伝サムライトルーパー』そして、『SD外伝騎士ガンダム物語』シリーズじゃ10年もの長期連載となる。
最近作は『ゲゲゲの鬼太郎〜妖怪千物語〜』(原作・水木しげる)児童ヒーローマンガがマンガの原点!がどうやら本人のポリシーであるらしい。
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