【IKARING先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
20才
- デビュー作のタイトルは?
『スニーカーブルウス』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
当時人気だった高値スニーカーをめぐってのドタバタ
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
可愛い女子高生
- デビューした雑誌は?
ヤングマガジン
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
漫画賞で佳作をいただいて、その作品が代原として掲載されました
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
10年くらい。小学4年生の頃からえんぴつでマンガのようなものは描いてました
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
ペンでちゃんと描いたのは1作目
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
学生
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
本気で目指していました
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
マンガ家以外考えてませんでした。デビュー出来ないなら、早々に結婚しておヨメさんになりたかったです
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
一緒に喜んで応援してくれました
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
藤子不二雄先生
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
ひとことではいえません
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
おぼえてません
- デビューが決まった時の感想は?
「やっぱりね…」
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
うれしいけどはずかしい
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
その当時はあまり変わりませんでした
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
月1、2回。ネームができたら
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
すべて
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
うまく話せないので、電話だけだと伝わりにくい気がして不安でした
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
電話で。たまーに上京して
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
去年、貧乏すぎて電気が止められることになった時に、お金を貸してくれました。おかげで生きながらえてます
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
いません
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
映画をたくさんみるように心がけてました
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
マンガを描く基本的な技法がわからず、困りました。トーンの貼り方も…よくわからなかった
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
60点
- またその理由は?
絵は汚いけれどいきおいとパワーがあったような…
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
体力
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
マンガで成功して大金持ちになったら、おうちに招待してください
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女性マンガ家。
10年ほど前、作品『スニーカーブルウス』で講談社ヤングマガジン 月間新人賞に応募し、佳作を受賞。その作品で某マンガ家さんの代原としてではあるがデビューを飾る。
その後、ヤングマガジンやアッパーズ(講談社)などで読み切りを発表し、近代映画社のエルティーンコミックでは初連載をし、待望のコミックス『すねかじりエロス』(全1巻)が発売される。
2003年、小学館のビッグコミックスペリオールで山田ゴメス原作の『パラダイスなヤツら』(前後編)を発表するほか、祥伝社のフィールヤングで不憫な姉妹のストーリー『しまいもん』を開始して人気を得る。また、2005年には同誌で大川興業元総裁の大川豊原作の『OL三國志』を集中連載。2006年は、さらにお仕事いっぱいしたい!!と燃えているマンガ家さんである。
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