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プロとして活躍しているマンガ家さんたちもかつては新人さんだった(あたりまえだけど)。新人のマンガ家さんにとってデビューは良きにつけ悪しきにつけ、忘れられないターニング・ポイント。このコーナーでは、マンガ家さんのデビューの頃の話を質問形式で語ってもらいます。
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【第7回目のゲスト/伊藤伸平先生】
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【伊藤伸平先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
正確な時期をじつはよく覚えていないんですが、1984年頃でした
- デビュー作のタイトルは?
『Hey!ミスター・ポリスマン』。石川秀美ですね
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
女子高生がヤクザと銃撃戦の末に対戦車ヘリを叩き落とすハナシです
- デビュー作でもっとも描きたかったことは?
女子高生がヤクザと銃撃戦の末に対戦車ヘリを叩き落とすところです
- デビューした雑誌は?
週刊少年サンデー増刊号です。何月号だかは忘れました
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
カタチとしては月例の新人賞からのデビューでしたが、実質は持ち込みです。おかげでのちに「オマエは出が卑しい」と言われるコトになります。ネームの段階で担当さんがついてくれて、指導を受けていました
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
具体的にデビューを目指して原稿を描きはじめてからは1年ぐらいです
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
2作目です。まあ担当さんついてたんでアレですが
- そのころの本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
学生でした
- そのころは本気でマンガ家を目指していましたか?
「就職活動」と称して漫画を描いていました
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
「漫画家以外」の選択を考慮するアタマが当時あれば、今頃ITベンチャーのホープとしてニッポン経済を席捲していたでしょう。もちろん孫正義なんかの好きにゃさせませんでしたよ。でも“いつも『漫画家になってたらなあ』と思い続けているITベンチャーのホープ”だったでしょうけれど
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
そう言われると覚えていないな。まあその程度の反応でした。妹だけは尊敬してくれました
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
目標と言うにはあまりにおそれ多いですが、萩尾望都さん、吾妻ひでおさん、手塚治虫さんが三大神様でした
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
ネームですかね。ネームの文章そのものが持つリズムと言いますか、格調と言いますか、そこに惹かれていたような気がします
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
……ナンか、学費とか交通費とか買い食いとか、そんな日々の些末事に消えていったような気が…(泣)
- デビューが決まった時の感想は?
デビューする迄よりこの先の方が長いのは充分承知していたので、そうそうハシャギはしないクールでダンディーな俺ではありました
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
「掲載号が決まったよ。ところで台割の都合でさ、4ページ分カットしたから。でもハナシ通じるからいいよね?」と担当さん。よかねえよ(泣)、と思いました
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
4ページカットでくだらんプライドが吹っ飛びました。「自分の描いたモノ」の「価値」と向き合えたと思います。だからと言って「今振り返ってみれば、俺の目を覚ましてくれた担当さんに、感謝」かというと、ソレはまた別のハナシじゃがのう
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
月に1、2度くらいでしょうか
- その頃編集者との打ち合わせでためになったことは?
特に覚えていませんが、 新しい世界で何でも吸収してやろうという気概に溢れていたので(いやマジで)、何でも役に立っていたと思います
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
打ち合わせそのもので苦労を感じたことはないです。出来たもンが面白きゃ最終的にオっケーでしょ、ってカンジで
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
ネームが出来たら持ってって見てもらう、という形でした
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
日々流して生きてるのであまり思い出とか残らないんです
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
テレビが友達でした。泣けてくるなあ
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特になにかしたこと、勉強したことなどはありますか?
デビューに当たって特にした事は、ないです。一般受けしたかったので、常に「ニュートラル」であろうとは心掛けていました
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだことなどはありますか?
先行きは不安でした。老後とか失職した時とか大病煩ったときの保障とか。ま、ナンとかなると思いましたけど。それが別に希望的観測とか考えが無いとかいう事では全然なく、自分に出来る事、出来ない事を精密に観測しての結論である、という点は少し強調しておきましょうかね。ただ、基準が自分なンで、それを誰も保証してくれないワケですよ。何によらず人生そういうもンですが
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
アレかぁ。アレは大アマで37点
- またその理由は?
大アマなのはカットされたりしてカワイソーな俺ちゃんだから。画が汚いしムダなネームも多くヒロインもカワイく描けていないうえにキャラの整理がついておらず人数多すぎしかもタイトルは石川秀美。いや、石川秀美はいいんだ。石川秀美はいいよ。石川秀美に免じても、しかし実質は更に10点引き。画よりもネームが恥ずかしいです。そう言や石川秀美は早見優と仲がよくってさあ、「明星」の企画で二人でハワイ行って水着でイチャイチャしてるグラビアってのがあったんだよう。あの号、捨てなきゃよかったなあ〜。…あ、いいですかこンなハナシはどーでも
- マンガ家としてデビューするために必要なことはなんだと思いますか?
正直申し上げて、デビューなんか才能とやる気さえあればダレでも出来るんで、特に必要なナニか、という物は思いつきません。まあ、持ち込む先の編集部への電話代と汽車賃ぐらいですか。あ、原稿もな
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
応援してますからガンバって下さいね。でもデビューしたらもう商売ガタキだかンな。ガオーっ!
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1960年埼玉県生まれ。'84年、少年サンデー増刊号(小学館)からデビュー。 その後、少年キャプテン誌上にて『モルダイバー』、『楽勝!ハイパー・ドール』とヒットを飛ばし、美少女アクションの第一人者となる。とくに「セーラー服と機関銃」モノを描かせたら天下一品。ショートカットフェチだが、ヨメさんの髪は1.5メートル(マジ)。海外のコミックコンベンションにも夫婦共々多数出席し、海外MANGA事情にも詳しい。現在、新雑誌での連載に向けて準備中である。
【伊藤伸平OFFICIAL HP】
(http://www.hyperdolls.com/)
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