【鈴木淳子先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
1980年代後半。もう20年経っちゃいました
- デビュー作のタイトルは?
『あいつにハート・ビート』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
主人公は先輩に恋い焦がれるも自分の友達とうまくいって失恋。
でいつもそばにいてくれた幼馴染と…さてこれからどうなるんでしょう?
ってなどこにでもある学園ラブの話でした
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
「好き」って言う気持ちは人に戸惑いや喜び、悲しみ ノいろんな思いを生むってこと。
当時は理屈抜きで描いていましたが今思えばそんなことが描きたかったのだと思います
- デビューした雑誌は?
角川書店「別冊ASUKA」。当時紙面のほとんどが新人の作品という雑誌でした
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
一つの作品を4社ぐらいに持ち込みをして、その中のひとつASUKAで担当がつき
その後担当編集に見ていただきながらデビュー目指してASUKAの漫画賞に描いて、
それが受賞⇒デビュー…だったと思います。
なにしろ昔のことで記憶が曖昧…
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
お絵かき程度は小さい頃から描いてましたが、はじめてちゃんと原稿用紙に作品を
描いてからは…3年ぐらいです
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
えーーーーー?はっきり覚えてないけど…10作少々ってとこじゃないかな
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
一年お勤めをした会社を辞めて、「漫画家目指してプータロー」を親に許して
もらってました。3年でデビューできなければまたお勤めするつもりでした。
幸いにも一年でデビューできて、今に至っています
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
もちろんじゃないですか?!
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
プータロー3年でお勤めと思っていたわりには、漫画を描く以外で働くことは発想に
なかったんで、何も考えていませんでした
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
とても喜んでくれました。兄夫婦がお祝いしてくれたのですが、近所のケーキ屋に
「デビューおめでとう」と注文したケーキを箱から出したら
「お誕生日おめでとう、デビー」とチョコで書いてあって大爆笑しました
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
デビュー前は好きな漫画家さんはたくさんいましたが、目標って感じではなかったなあ。
目標ってなんだかおこがましくて……
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
デビュー後にアシスタントに行く機会に恵まれて、本物のプロの仕事っぷりとあまりの
素敵な人間性に竹宮惠子先生をうっかり「目標」にかがげてしまった瞬間があります。
その後、目標の高さに人生苦しむことに……
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
覚えてません!一旦貯金…してその後いろいろ…何に使ったかわからない感じかな。
あ、でもトレース台はそのお金で買いました!なくて不便だったから。今もそれ使ってます
- デビューが決まった時の感想は?
「ほんとに?いいの?」
「思っていたより早かった!」かな
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
「ぎゃあああああ〜〜〜〜〜〜ごめんなさ〜〜〜〜〜い」
(うすらぼんやりとわかっていたけれど、あまりの自分の作品のレベルの低さを
客観的に見れてしまって)
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
デビュー前後ではあまりないです。その頃は、ほとんど何も考えずにただただ
描いていましたので
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
打ち合わせというより、自分が描いたネームを見てもらって添削してもらって直して
また描いて…という繰り返しでした
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
活躍している漫画家さんの「お手本にするとよい」という事柄をいっぱい伺いました
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
特に苦労はなかったです。むこうはどう思っていたかわかんないけど…
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
当時は新潟在住だったので、会って打ち合わせはめったにできませんでした。
ファックスもまだ持ってなくて、ネームもコピーして郵送。その後電話で打ち合わせ。
たまに上京して顔見て打ち合わせができるときは、必ず美味しいものをごちそうに
なってました
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
当時、田舎者の娘っ子だった私を大学の学園祭に連れて行ってくださったり、
取材の仕方も教えてくださったり。今思うといろんなこと教えていただいた
漫画界の先生か親みたいな存在ですね
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
ASUKAでちょっと先にデビューしたあいかわももこさんはデビュー直後から漫画の
ことから人生論まで語りあってました。今でもお友達
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
んーーーー。人生を真剣に生きること。かな?
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
絵が下手で悩んだ〜〜〜。そしてお話がうまく作れずに悩んだ〜〜〜〜
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
100点
- またその理由は?
作品の内容や質やレベルはどうであれ、その時の最高最大のベストを尽くした作品だから。
あの時の私にはこれで100点
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
「デビューすると決めて描き続けて諦めないこと」
デビューするのはそれだけあれば充分です。
大変なのはその先ですから
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
がんばってください。それ以上何も申せません
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漫画家。兵庫生まれ、新潟育ち。 1988年『別冊ASUKA』にて漫画家デビュー。以降、『少女コミック』『Carnival』『Kiss』『Be Love』『恋愛白書』シリーズなど、各誌にて作品を掲載。『ハーレクイン』シリーズでは描きおろしコミックスも。近年では、ケータイキャリアによる週刊連載『どすこい!!Maji恋☆どん と来い!!』がある。最近は、20年以上のキャリアを生かし、お世話になった漫画業界に恩返しをすべく「アシスタント養成講座」や「漫画教室」も開催中。ハマっていること…歌舞伎観賞に大相撲観戦、神社仏閣巡りはライフワーク。
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