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プロとして活躍しているマンガ家さんたちもかつては新人さんだった(あたりまえだけど)。新人のマンガ家さんにとってデビューは良きにつけ悪しきにつけ、忘れられないターニング・ポイント。このコーナーでは、マンガ家さんのデビューの頃の話を質問形式で語ってもらいます。
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【第14回目のゲスト/かとうひろし先生】
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【かとうひろし先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
自分の作品がマンガ雑誌に掲載されたと言う意味のデビューなら
1971年(以下Aデビュー)。
マンガ家として活動を始めるキッカケになったと言う意味でのデビューなら
1991年(以下Bデビュー)。
Aデビューの後、10年近くマンガは描き続けていたがちっとも芽が出ず、
デザイナーの仕事に専念した長期のブランクがあるので、あえて2つに分けてみた
- デビュー作のタイトルは?
Aデビュー『女の中の男一匹』
Bデビュー『ドラゴンMYフレンド』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
『女の中の男一匹』
男の子として育った正義感の強い番長が、(本人も気がつかなかったが)
実は女だった。
学園の勢力争いのドタバタをコミカルな味付けで描いた熱血番長マンガ
『ドラゴンMYフレンド』
主人公は、RPGにのめり込んでいるTVゲーム大好きな気の弱い少年。
心のきれいな人の目にしか見えない「ドラゴンドック」と出会った主人公が、
その犬の力を借りて、イジメっ子に盗られた大切なRPGゲームソフトを
取り戻す話
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
Aデビュー
痛快な(だけど、どこか可笑しい)番長マンガを描きたかった
Bデビュー
私の長男(小学生)が、RPGゲームにのめり込んでいたので、
現実の世界はRPGゲームより数段スリリングで面白いのだと言う事を、
この年代の子供達に伝えたいと思った
- デビューした雑誌は?
Aデビュー『COM』
Bデビュー『コロコロコミック』
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
Aデビュー/月例投稿作
Bデビュー/漫画賞受賞作
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
Aデビュー/4年位
Bデビュー/25年位
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
Aデビュー/7作目
Bデビュー/54作目
- そのころの本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
Aデビュー/学生
Bデビュー/フリーのGデザイナー
- そのころは本気でマンガ家を目指していましたか?
Aデビュー
なりたいとは思っていたが、心の隅で自分がプロのマンガ家に
なれるとは思えなかった。
自分の描いたマンガが本に載る事が目標でひたすら描いていた。
「漫画家目指していた」と言うニュアンスとはちょっと違う
Bデビュー
勤めていた会社の経営不振により、
フリーとして独立するしか生きて行く道がなくなり、
営業活動の幅を増やす意味でマンガに手を出した。
これも「目指していた」と言うニュアンスとはちょっと違う
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
絵を描くのが好きだったので、それに関連した仕事をしたいと思っていた。
現実にグラフィックデザインの仕事に携わってきた
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
「マンガ家になれる筈がないから、堅実な仕事に就くように」と
言われ続けたが、実際に本に載っているのを見ると、
喜んでいる様子だった。
でも、「食っていける訳がないから、堅実な仕事に就くように」とは
その後も言われ続けた
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
山上たつひこさん
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
見事な構成力で意表を突く展開のSF作品と、
徹底的に不条理なギャグ作品を描き分ける才能
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
Aデビュー/ペン先とか紙とか、マンガを描く為の道具に使ったように
記憶している
Bデビュー/子供を三人抱えての自営業開始当初だったので生活費にまわした
- デビューが決まった時の感想は?
Aデビュー/本を買って、見たら載っていたので驚いた
Bデビュー/デザイナー以外の営業項目が増やせるかも・・・・という期待
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
Aデビュー/ひょっとすると漫画家になれるかもしれないと期待した
Bデビュー/漫画家としてやっていけるかどうかは別として、
本に載ったものを自分の子供に見せる事ができて
いい記念になったと思った
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
Aデビュー後/変化なし
Bデビュー後/マンガも「仕事」である事の認識
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
Aデビュー
打ち合わせ一切なし。
できあがった原稿を持ち込みして、良ければ載せてくれる。
悪ければ突き返される
Bデビュー
月刊誌だったので、月に3〜4回。
最初の打ち合わせでストーリーの細部まできっちり決める。
ネームが一度でOKが出る事など年に1度あるかないか。
2〜3度の描き直しは普通だった
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
自分では気がつかない視点での指摘により、作品の幅が膨らんだ事
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
譲れない「好み」の部分が、力関係により妥協せざるを得ず、
中途半端になる事があった事
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
編集部に出向き、社内の打ち合わせスペースで(時々喫茶店)、
担当氏とマンツーマン
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
某ゲームの企画マンガの連載の際、実際にプレイしないと
話にならないからと、ソフトとハードをポンと買っていただいた事。
家庭ゲーム機と言うよりは、アーケード機並みの性能を持った
超高値のマシンだっただけに、ビックラこいた事があった
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
同時期にデビューされた作家さんは気になる。
正直、負けたくないと思う(負け続けてるけど(^_^;))。
知り合う機会が少なかったので、語り合える漫画家さんはいなかった
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特になにかした事、勉強した事などはありますか?
暇さえあれば、本を読み映画を観た
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
「マンガで食っていけるのか・・・?」
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
Aデビュー作/50点
Bデビュー作/50点
- またその理由は?
今リメイクすれば、倍は面白く描けるから
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
自分が「面白い」と思うものを「他人に的確に伝える技術」を養う事
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
「好きこそものの上手なれ」&「継続は力なり」
あきらめず努力を続ければ、夢は叶うものだと思う
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195X年生まれ、千葉県出身。マンガ家、グラフィックデザイナー。
大学でデザイン関係を専攻し、卒業後某大手コンピュータ会社に入社し、宣伝部のデザイン課で働くかたわらマンガの投稿を続ける。各出版社のマンガ賞に佳作として入選するも、掲載にはいたらず。
約3年半後会社を退社し、小さなデザイン会社に再就職。その会社を10数年勤めるかたわらも、マンガに対する情熱は衰えず投稿や持ち込みを継続し、月刊誌「マンガ少年」にて数作の読み切りを掲載される(1978年〜1980年)。
その後、結婚し子供が生まれたのを機にマンガ活動を停止するとともに、フリーのデザイナーとなるが、1991年小学館のコロコロの藤子賞佳作入選をきっかけに持ち込みを再開しマンガ家としてデビューし現在にいたる。
【かとうひろし先生のHP】
http://kato-manga.sakura.ne.jp/
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