【きくち正太先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
昭和63年。デビューしたその年に昭和天皇が崩御なされた
- デビュー作のタイトルは?
『獣王バイオ』ヒロイックファンタジーものだ。記憶にとどめないことにしている
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
記憶にはとどめないことにしている
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
カッコいい男
- デビューした雑誌は?
「少年チャンピオン」
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
ひたすらに持ち込み
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
1年半
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
記憶にはとどめないようにしているが、10作以上は描いたはずだ
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
フリーター。ほとんど無職
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
もちろん!!
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
考えていなかった
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
手のひらを返したように万歳三唱
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
水木しげる大先生
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
よくも悪くも人間臭いところ
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
生活費、アシスタント代、借金
- デビューが決まった時の感想は?
現実感まるでなし。夢なら覚めないでくれ!!
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
うわ!! 下手!
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
プロという仕事で何でもそうなのであろうが、
デビュー前よりデビュー後が大変であるということ
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
よく泣かされました
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
アイデア、エピソード、思いついた事は何でも数打ちゃ当たるとばかりに口に出す勇気
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
その数打ちゃ当たる的なおびただしい事柄から、本当に使えるアイデア、エピソードを
どうやってチョイスしていくか
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
おもに喫茶店でおでこ突き合わせてのガチンコ
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
原稿料ではとても食えない状況下、アシ代等借金に快く応じてくれたこと。
またそれをチャラにしてくれたこと
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
漫画家はひたすら孤独だ
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
生活すべてだ!!
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
自分自身の今までの人生すべて、それは今もこの先もずっと変わらないであろう
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
記憶にとどめていないので評価のしようがない
- またその理由は?
記憶に…
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
デビューするまで続けること。考えるヒマがあったら紙におこせ
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
漫画家は漫画を描けるのがあたり前。漫画以外に何ができるか、何を知ってるか。
漫画のおもしろさは、そこから生まれるのであります
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1961年1月8日、秋田県平鹿群(現横手市)大森町生まれ。
1988年に「週刊少年チャンピオン」より『獣王バイオ』にてデビュー。
以後『三四郎2(さんしろうのじじょう)』、『そばっかす』『きりきり亭のぶら雲先生』他作品多数。
現在、隔週「イブニング」にて『おせん』、「漫画ゴラク別冊」にて『きりきり亭主人』等連載中!
漫画家の中でも非常に珍しいガラスペンを愛用してます。
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