【恋緒みなと先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
1989年4月10日
- デビュー作のタイトルは?
『トマト倶楽部』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
学校を舞台に、3人の女の子が繰り広げるノー天気なH漫画
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
面白ければなんでも良かったのです。
とにかくノリだけで描いていました。
なお、上記の作品は未完状態です。
いまさら完結させる気もありませんが…(笑
- デビューした雑誌は?
「キャンディータイム」(富士見出版)
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
持ち込みです。
持ち込んだ作品は没になりましたが、その場で決めた企画がそのまま
デビュー作になりました。デビューと共に月刊連載を頂きました
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
2年弱です。大学の漫研に入部してから描き始めました
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
それまで漫画作品は、漫研の同人誌と同部の先輩が個人的に
作っていた同人誌に描いたぐらいで、ちゃんと完成させた作品は
2桁行ってないと思います
- そのころの本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
工学部の大学2年生
- そのころは本気でマンガ家を目指していましたか?
自分が漫画家に成れるとは想像だにしていませんでした。
先輩と飲み会で持ち込みを約束させられて、その場のノリのまま
持ち込んで連載となったので、あまり深く考えていませんでした。
持ち込み先も、部室に転がっていた成年漫画誌の中で、
たまたま地図が載っていたと言う理由から決めたくらいです。
バイト感覚だったのでしょうね(苦笑
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
印刷関係。大学で印刷関係を学んでいたので
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
デビュー後、しばらく黙っていました。
本業が学生でしたし、デビュー雑誌が成年漫画誌だったので
言えませんでした。
結局いつの間にかバレていましたが
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
学生の頃、高田裕三さんの作品を良く読んでいました
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
漫画、キャラクターの見せ方とそのためのストーリー展開、
そして読者を紙面に引きつける技術。
やはりメジャー誌の漫画家さんはすごいなと
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
生活費に消えました。
その分、親からの仕送りを減らしてもらいました
- デビューが決まった時の感想は?
とにかく、必死だったのであまり感動は無かったような気がします。
それまでちゃんと完成させた作品が無く、締め切りが間近だった事も
あり、編集さんにいろいろ指導してもらい必死に完成させました。
苦しかったけど最高に楽しかったです
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
単純にうれしかったです。
ただ、創刊したばかりの雑誌だったので、どこにも売ってなくて、
深夜コンビニを走り回って探しました。
その時の第一の感想は「疲れた…」です
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
特にありません。
持ち込んで見て頂いた編集さんに、その日、小2時間ほど、
漫画に対する考え方をたたき込まれました。
それまでアシスタント経験もなく、漫画を描く事に対して何も
知らない素人でしたから、その指導が全ての基礎となっています。
良い編集さんに出会えて幸運でした
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
自分の作品の打ち合わせは30分ほど、そのあと漫画について
1時間ほど語り合いました
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
全て。とにかく、素人でしたから
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
自分の作品について苦労した記憶はありません。
その編集さんは良い所を伸ばすという方針だったので、
揉めた事はありません。
作品制作経験が少なかった事もあり、自分が強く主張する根拠も
なかったので。
むしろ打ち合わせが楽しかったです。
一番初めに見せる人=読者ですので、
楽しませてやろう! 驚かせてやろう!
と意気込んで打ち合わせに向かいました。
それは今でも変わりません。
唯一苦労した事は、当時FAXを持っていなかったので、
大学の授業後、東京まで1時間かけて通った事ぐらい。
終電が無くなって編集部に泊まった事も何度かありました
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
面談のみ。理由はFAXがなかった事。
それに電話では本当の反応も感想も分かりませんから
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
デビューしたての頃は編集部によく泊まり込みしました。
そのとき、徹夜麻雀したりいろいろ遊んで頂きました
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
ライバルは自分以外の全ての漫画家さん。
面識はありませんでしたが、勝手にライバル認定していました。
同時期デビューした陽気婢さんが同雑誌にいましたが、
お互い本業持ちだったのでいろいろ苦労話はしました
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特になにかした事、勉強した事などはありますか?
特にありません。連載とともにいろいろ勉強させてもらいました。
そのうえ原稿料までいただいて感謝の気持ちでいっぱいです
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
全くないです。基本的に楽天家ですから
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
65点
- またその理由は?
絵も仕上げも下手ですし、このレベルでよく掲載して
くれたな〜と思います。
ただ、それまでも既存の作品にはとらわれない“勢い”だけは
ありましたね。これは、それまで成年漫画をあまり読んでなかった
事が幸いしただけですが
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
情熱。
それさえあれば編集さん、読者にも自分の気持ちは伝わります。
ただ、僕自身デビュー自体にはそれほど価値のある物とは
考えていません。
これは 一番最初に編集さんから教えて頂いた事ですが、
「面白いモノは時間さえかければ誰でも出来る。
デビュー作が面白くてもそれを続ける力が無ければ
漫画家としてやっていけない。
それを支えるのは漫画に対する真摯な気持ちと情熱だ」
いまでも自分が漫画家としていられるよう必死です
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
漫画家になるのは簡単です。
でもそれを続けるのはもっと大変です。
その覚悟をもってデビューしましょう。
あと、どんどん持ち込みましょう。
良い編集さんとの出会いが自分を成長させてくれます
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1968年5月12日生まれ。岐阜県出身。
1989年4月、富士美出版「キャンディータイム」にて『トマト倶楽部』(成年向けコミック)でデビュー、連載開始。 同年10月、辰巳出版「ペンギンクラブ」にて『魔法の詩保ちゃん』(成年向けコミック)を連載開始。本作品はのちにビデオアニメ化された。1992年7 月、同誌にて『monoほんモノロジィ』連載開始。
1994年5月、講談社の「週刊ヤングマガジン増刊ダッシュ」に掲載された『めぐみ○火白書』で一般誌デビュー。1996年に「週刊ヤングマガジン」本 誌にてインターネット時代に先駆けてパソコン通信の世界の恋愛を描いた『オレ通 AtoZ』、翌1997年にバーチャルアイドル制作の現場をリアルに描いた『RiNGO digital apple magic』連載。1999年8月より「別冊ヤングマガジン」にて代表作『イオ』の連載を開始し、現在に至る。『イオ』は業界初の本格ダイビング物とい うジャンルに、氏が得意とするラブストーリーと冒険物の要素を取り入れた意欲作で、現在単行本8巻を数えるヒット作となった。最新刊第9巻は2004年 6月刊行予定。
マンガ以外の仕事としては、PS用ゲーム『スターオーシャン SecoundStory』(エニックス/1998年7月発売)のキャラクターデザインを手がけている。
【恋緒みなと先生
コミックスリスト】
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以下は成人コミック
- 『いけないマジカルハート!』 全1巻(フランス書院)
- 『トマト倶楽部』 全2巻(茜新社)
- 『魔法の詩保ちゃん』 全2巻(茜新社)
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