プロとして活躍しているマンガ家さんたちもかつては新人さんだった(あたりまえだけど)。新人のマンガ家さんにとってデビューは良きにつけ悪しきにつけ、忘れられないターニング・ポイント。このコーナーでは、マンガ家さんのデビューの頃の話を質問形式で語ってもらいます。
【第22回目のゲスト/くじらいいく子先生】
【くじらいいく子先生への30の質問】
  • デビューはいつ頃ですか?
    19歳の時に描いて20歳でデビュー

  • デビュー作のタイトルは?
    『タナーの猫のたなた』

  • デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
    映画『ハリーとトント』に影響されて、おじいさんと猫の話

  • デビュー作でもっとも描きたかった事は?
    のんびりした世界

  • デビューした雑誌は?
    小学館の少女漫画誌『ちゃお』

  • どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
    もともと別の雑誌(少女コミック/小学館)に憧れて持ち込みを続けていたところ、賞の選考にもれて選外作として返却されるはずだった原稿を、すぐ隣のスペースにできた新雑誌『ちゃお』の編集さんがこっそり見て、「あなたはウチの雑誌でデビューです!」と直接電話がかかってきた。その後『小コミ』の担当さんと、『ちゃお』の担当さんから「どちらを選ぶかは、くじらいさんの意思で決めてください」と言われ、3年後にデビューできるかもしれない憧れの雑誌よりも、まずデビューする事が肝心だと、『ちゃお』を選ぶ事に

  • デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
    投稿作品は15歳の頃から描き始めていたので4年くらい

  • またそれは何作目ぐらいでしたか?
    4〜5作目かな!? 当時の担当さんに「一年に一作ではプロはとてもとても」と言われました。目指していた漫画賞の受賞常連者は2ヵ月で新作ができていたりして、負けられないと思いました

  • そのころの本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
    OLでした

  • そのころは本気でマンガ家を目指していましたか?
    はい。泣きたいほどもちろん!

  • もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
    漫画家になること以外考えられなかった

  • マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
    喜んでくれたけど何ももらえなかった

  • 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
    う〜〜ん、いっぱいいるんですけど、アシスタントをさせてもらった内田善美氏でしょうか

  • そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
    真似できないほど絵の上手いところ

  • デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
    会社をやめようと思っていたので生活費に

  • デビューが決まった時の感想は?
    「・・なんでこの雑誌から!? でもうれしい!!」
    憧れの雑誌ではデビューできるとしても3年はかかるだろうと思っていたので、目の前のデビューを選ぶか迷いました。が、デビューしなければ学べないものがあると思い決断。結果的に良かったと思っています

  • デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
    ペンネームの名前を漢字にしていたのに、載った雑誌を見たら全部ひらがなになっていてびっくり。そのうえ自分の絵があまりにも下手なので、さらにびっくり・・。なんでデビュー出来たんだろうって今でも不思議です。デビューして一番勉強になったのは、プロの作品と並んで雑誌に載る事。これまで自分の中に貯めてきたものがどれも自分よがりで、ほとんど使い物にならない。読者のことを全く考えていなかったと、一目瞭然でわかりました

  • デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
    やるだけやるしかない! 今もそうだけど、いつも体当たりです

  • デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
    東京者なので、高校の帰りに制服姿で自作の原稿袋を持ってよく行ってました。ヒマな時は出版社の資料室で過去の漫画を読ませてもらったり、余った雑誌をもらったり・・・。なんであんなに出版社に遊びに行っていたんだろう・・・

  • その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
    漫画は一人で作るものじゃないということ

  • 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
    打ち合わせは好きなので、苦労はなかった

  • 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
    いつも出版社の談話室で。受け付けのお姉さんに名前を覚えてもらっていたので、編集部への呼び出しの電話をかけてもらう時も楽でした

  • 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
    デビューは少女漫画誌だったんですが、思い出に残っているのはその5年後、青年誌デビューごろのこと。初の青年誌連載で、担当者と連日遅くまで打ち合わせをしていました。極めつけは12月31日。もうすぐ除夜の鐘が鳴りそうだと気付き、年を越す30分前に慌てて帰ったこと。でも1月2日からもうネームの打ち合わせをしていたような・・・。週刊誌に正月もなにもないので・・・

  • デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
    デビュー時は同じ雑誌にいましたが、青年誌に行くと同時に一人になりました。今もずっと一人です

  • デビューの頃、マンガ家として成長していくために特になにかした事、勉強した事などはありますか?
    映画でもコンサートでもなんでも行っていました。全てプロになるための栄養だと思っていたので。今も同じ気持ちです

  • デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
    表現したい絵を描けない。話作りもホントいまいち。う〜〜ん、ちょっとデビューが早かったかも。だから苦労しながら描き続けてきました。
    ローティーン向けの雑誌には向いていないと悩み始めた頃、それまでの連載などが名刺代わりとなって、他誌に読みきりを載せてもらえる事に。
    その後、どんな漫画を描いたらいいのかわからなくなった時期には、ハワイ大学へ留学しよう! と願書を提出し、ドミトリーの寮母さんに挨拶もしに行き、車社会に備えて自動車教習所も第3段階くらいまで進みました。それと平行して、「これを置き土産の連載にしよう」と、ハワイ留学をする女の子の話を自分の納得のいくまでこだわって描いたら、それを見た青年誌の編集部から声がかかり、留学との二者択一に。「ハワイは来年行けるかもしれない。でも青年誌掲載というチャンスは二度とないかもしれない」と、漫画家の道を改めて選びました。
    この読みきりをきっかけに「スピリッツ」での青年誌デビューが決定。「ちゃお」デビューの5年後の事でした(ちなみに、ハワイ留学娘の話は『南国カンカン娘』として単行本化されています)。二者択一で悩んだ時は、「楽しそうな道」を選び続けて現在に至っています

  • デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
    −100点

  • またその理由は?
    何があっても漫画家になりたかったし、気持ちは盛り上がっていたんですが、やはりプロの中に入ると自分の未熟さにガクゼンと。デビュー作は、今から見れば原稿料をもらってごめんなさいって感じです。スイマセンでした・・・

  • マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
    不器用さ。漫画家になること以外なにも出来ないし、考えられない。この世界しか、自分には生きていく道がないんだって、デビュー当時も今も同じ思いです。20年以上、この気持ち、変わってないです

  • これからマンガ家を目指す人達になにか一言
    「世の中に天才というものはいないのだとよく言われる。天才も90%は努力のたまものなのだと。けれど私は思うのだ。何かひとつのことを、好きで好きでたまらないほど好きになれるということは、これは生まれつきの贈りものなのだと。これこそ天賦の才なのだと」森瑤子・著『非常識の美学』(マガジンハウス、角川書店)より

    絵と恥は一緒にかくもの(!)。新人時代というのはパドックの馬と一緒で、ゲートがなかなか開かないとやる気がなくなってしまいます。デビューに時間をかけ過ぎると、いつの間にかデビューする事が目標になってしまい、デビューして気が済んでしまう事も。鉄は熱いうちに打て。自分にとっての旬の時期を逃さず、恥と絵をたくさんかきつつ、たくましくプロを目指してください
 東京都新宿区出身。幼少時より漫画家になる! との目標に向かって進み、高校在学中より持ち込みを開始。学校帰りに原稿片手に各出版社をまわり、プロ作家のアシ経験なども積む。卒業後大手保険会社に入社し、花のOLに。しかし昼食も5分でかき込み、会社のトイレにこもって原稿を仕上げては短期連載を続けるという二重生活だった。同僚には「くじらいさんて、不思議な人」と言われつつも制作を続け、2年後退社。以降漫画家としての人生を歩み始める。
 1987年より連載開始された『マドンナ』は、熱血新米女性教師が問題児達とラグビー部を作り花園を目指す青春群像を描き大ヒット、一躍人気漫画家に。
 その後もアイスホッケーを題材にした『アイスマン』、ライフセーバーを題材にした『湘南ゲンジロー』など独特のモチーフを取り上げた、明るくパワフルな作風でヒット作を多数世に出す。陸上自衛隊を描いた『守ってあげたい!』は菅野美穂主演で映画化、『湘南ゲンジロー』と同じくライフセーバーを描いた『早乙女タイフーン』は加藤晴彦主演でドラマ化もされ、巷の反響を呼んだ。
 大のラグビーファンで、ベースボールマガジン社の森本優子氏との共著『ラグビーに乾杯!』や、自身の登山経験を綴ったイラストエッセイや対談を雑誌「山と渓谷」に発表するなど多彩な活動を続け、2003年には自伝的要素を含むバブル前夜の新宿の若者を描いた『欲望セブンティーン』をビックコミックスペリオールに発表(単行本化)。
 現在はビッグコミックオリジナル増刊11月号より、迷える魂を癒すネイチャー新連載『花もキミを見てる』(くじらいいく子/原案・根岸康男)を開始。自然の持つ力と人の生き様とを交差させた、ラブ&ピースな物語に全力投球中。いい子ちゃんの視点ではなく、屈折したエネルギーに満ちたキャラクターたちが自分の道を見いだしてゆく姿には、多くの読者が勇気づけられている。


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