【桑澤篤夫先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
1984年2月
- デビュー作のタイトルは?
『緑山高校』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
全員1年生が甲子園で優勝を目指す
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
特にはありません
- デビューした雑誌は?
『ヤングジャンプ』
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
月例賞で佳作受賞
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
4〜5年ほどだと思います
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
同じ野球もので3作目です
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
デザイン関係の仕事をしていました
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
目指していました
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
なぜか漫画家になれると思っていました
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
大変喜んでくれました
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
ちばあきお先生
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
『キャプテン』のような作品を描いてみたいと思っていました
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
月例賞の賞金は10万円か15万円でしたが、何に使ったのか覚えてまいせん
- デビューが決まった時の感想は?
それまで1年に1本ペースだったので、すぐ連載と言われて必死だったという印象です。電車に乗って自分の作品を読んでくれている人を見て喜びが沸いてきました
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
せめて1年は続けたいという気持ちでした
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
漫画は格闘技でした。毎週人気投票の結果が発表され、次こそは1位をと熾烈な闘いが展開される世界でした
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
次回の最後の引きの場面だけ伝えるだけでほとんどしていませんでした。当然ネームも見せていませんでした
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
原稿を受け取って「面白い」か「まあまあ」しか言わない担当さんだったので、毎回「面白い」と言ってもらうために必死で描いていました。これは良い意味でためになりました
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
大変良く面倒を見ていただいたので、苦労無く作品に集中できました
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
20と同じ
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
舞台が甲子園でしたので毎年春、夏と甲子園取材ができたことです
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
アシスタント経験がなかったので他の漫画家さんと知り合う機会がありませんでした
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
ギャグに磨きをかける努力をしていた記憶があります
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
楽しいことばかりでした
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
90点
- またその理由は?
アニメにもしていただき思った以上の成果を遂げることが出来ましたので満足しています
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
諦めないで頑張る力だと思います
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
今からでも遅くはない、とにかく諦めないで頑張って下さい
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ヤングジャンプの月例賞で佳作を受賞し、連載を始めたデビュー作『緑山高校』で人気を博す。『幕末闘球伝ライヤ』や『安全第一仙太郎』など、主に スポー ツを題材にしたマンガをダイナミックな絵柄で数多く発表している。 その他に『ゴータマ』『占い刑事』『ストラック』などがある。近年は『マンガで知る社名の謎と由来』『マンガで知る社名の由来』『義経英雄伝説』 (全て集英社)などが出ている。
桑澤先生が参加している占いサイト「占いの門」
http://www.uranaimanga.com/
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