【水野トビオ先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
1988年
- デビュー作のタイトルは?
『失業率は急上昇中』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
ブラブラしている若者が職業安定所へ行ってみる話
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
モラトリアムの葛藤と希望
- デビューした雑誌は?
ヤングマガジン
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
ヤングマガジン月間新人漫画賞
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
1年くらい
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
3作目
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
寅さんに「労働者の諸君!」と言われそうな、
従業員4人の印刷工場。
この仕事を見つけるまでの過程が投稿作に反映されてます
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
目指していませんでした
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
2ヵ月くらい先までしかイメージできませんでした
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
喜んで近所に言いふらしていたのが嫌でした
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
望月峯太郎さんです
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
連載時に絵が荒れる回が時々あって、そんな所にシビレてました
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
たしか車のローン
- デビューが決まった時の感想は?
いきなり週刊連載まで決まったので、ちょっと待ってくれ…
という感じでした。これをやらないと賞金の50万円が
もらえなくなると思っていました
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
自分は好きだけど、他に面白いと思う人がいるだろうか
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
若干質問とズレますが、漫画を描いている事は秘密にしていたので、
その間、友人からの誘いを断り続け、アイツは最近おかしいと
言われていたので、デビューした事によって漫画を描いている事と、
車の改造とか今どこの組が勢いがあるとか、
本当は俺、全然興味ないという事をカミングアウトできた
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
週1回くらい
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
編集者以前にサラリーマンという生き方に、
そこで初めて触れさせてもらった気がします
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
僕が23歳で担当が24歳。
数々のトンチンカンな激論を交わしました。
しかしあのような濃い関わり方は、お互いもうないというか、
出来ないと思います
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
電話か居酒屋など
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
(地元にいた)当時まだ家庭用FAXが普及しておらず、
ネームがズレ込んだ場合、担当が休日でも編集部へ行かなくては
ならず、それだけで申し訳ないのですが、
そんなパターンで深夜に電話で打ち合わせとなったある時、
妙に担当のテンションが低いのでネームが面白くなかったのかと
聞いたところ、実は車で編集部へ来る途中に犬をはねてしまい、
数分後にその犬が死んでしまったとの事。
僕も責任を感じて、犬の冥福を祈りながらのしんみりとした
打ち合わせとなったのを覚えています
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
18の質問での友人は地元の友人で、それとは別の高校の友人1人と
ゲームセンターで知り合った友人1人が、同時期漫画家になりました。
ただデビュー以前は彼らにもマンガを描いているのは秘密でした
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
スキルアップみたいな発想を最高にダサいと思っていたので、
表現の幅が狭いのなんの
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
二度と描けないモノを毎回描きたかったので、
毎回もうダメだと思ってました
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
90点
- またその理由は?
面白いから
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
少なくとも1回は漫画を描かないとね。
そんでダメだった時また描くかどうか
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
自分も精進して、なるべく長く漫画家でいたいと思っているので、
いつか機会があったら酒でも飲みましょう
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1966年静岡県生まれ。
1988年ヤングマガジン月間新人賞で大賞受賞後、1989年より受賞作『WORKINGCLASS(失業率は急上昇)』で人気を得る。そのとぼけたキャラクターの絵柄の魅力と笑いのセンスを買われ、1992年には史村翔先生原作のお笑い競馬アクション
『パッパカパー』を連載開始、読者だけでなく原作者史村翔先生のハートをぐぐっとつかむことになる。(後に、この作品は映像化もされた)
以後、1997年には再び史村翔原作の『ラフストーリー』、さらに2000年にはヤングマガジンアッパーズで三たび(!)史村翔原作の『フーセン』を連載。(ちなみに、史村翔先生が3度以上連載コンビを組んだ相手は、あの池上遼一先生と水野トビオの二人だけけ!!である)
現在は、「パチスロミリオンキング」で『スロプロ始めました』、「パチスロであった本当にスゴイ話」で『パチスロ貧乏バトル』、「パチスロ攻略7」で『攻略7的パチスロライターへの道!』を連載中。
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