【本島幸久先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
1987年。20歳
- デビュー作のタイトルは?
『喫茶店LALA日記』(当時のペンネームは亜砂(あずな)みえる)
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
変な客しか来ない店の地下を任されたウエイトレスの奮闘を描いたコメディ
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
実際に自分が通っていたLALAの心地良さ。(地下を占領して友人と同人誌を作っていました……)
- デビューした雑誌は?
『週刊少年マガジン』
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
同人誌を編集長に見つかって青田買い
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
6年くらい
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
20作くらい
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
学生
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
マンガ家になる勉強をする為に大学に入ったようなものでした
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
ミステリー作家か教師
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
呆れながら応援してくれました
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
藤子不二雄。(主にF先生ですが、あくまでコンビとしての藤子不二雄が大好きなので)
和田慎二
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
読み切りは「エスパー真美」。連載物は「スケバン刑事」が僕の永遠の手本です
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
同人誌作った……
- デビューが決まった時の感想は?
タナボタ
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
周りから浮いている気がした
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
元々20年計画を立てていたので、ここから本格的にやろうと思いました
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
相談とバカ話で盛り上がってたけど、打ち合わせはしたっけなあ……?
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
大人の世界の面白さを色々教わった
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
自分の知識の足りなさで話が通じない事が多かった
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
編集部に行ってくっちゃべってた
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
最初の担当さんは編集長の命で僕に声を掛けてくれたものの、作品とか才能とかは未知数で興味が無かったようでした。しかし、実は高校の後輩だと判明して「じゃあ頑張れ!」と応援してくれました。縁ですね……
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
きくち正太先生(アシスタントしていました)
森川ジョージ先生(「風のシルフィード」が連載した2号後に「はじめの一歩」が始まってもの凄い刺激を受けました)
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
趣味を増やした(演劇鑑賞とか、ゲームとか、ゴルフとか、マンガ家になってから始めた)
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
絵が下手!
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
100点
- またその理由は?
デビューするという役目を果たしたから
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
思い込み
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
肩こるよ。やるなら体を鍛えておくといいです
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1967年生まれ。
週刊少年マガジンにて読み切り作品『喫茶店LALA日記』でデビュー。
その後、当時の少年誌としては珍しいジャンル“競馬”を取り上げた『風のシルフィード』を連載。騎手と競走馬を描いた壮大な物語は、長期連載作品となった。
同誌でその続編となる『蒼き神話マルス』を連載、その他の連載作品には、ゴルフ漫画『空の昴』、サイキック・ホラー漫画『MAYA〜真夜中の少女〜』、ミステリー漫画『VISIONZ』、『ちょっと探偵気分』がある。
現在は、週刊現代にてゴルフ漫画『担ぎ屋どおも』、ゴルフ誌アルバトロス・ビューにて『宮里道場』を連載中。自身のゴルフ経験を生かした精密な描写力には定評がある。
週刊現代にて連載中の『担ぎ屋どおも』は、現在第2巻まで発売。新人女子プロ・森下梢が秘める驚きのポテンシャル。そして彼女を導く“担ぎ屋”堂本(どおも)の巧妙な戦略。二人の活躍から目が離せない!
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