【小田原ドラゴン先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
1997年5月
- デビュー作のタイトルは?
『僕はスノーボードに行きたいのか?』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
皆でスノーボードに行くのに一人だけ誘われないっていう…
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
仲間外れにされたときの悲しさ
- デビューした雑誌は?
ヤングマガジン増刊号赤BUTA
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
ヤンマガ月間賞受賞 奨励賞
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
2ヵ月くらい
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
2作目
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
酒屋の配達
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
一応本気。今から考えるとどうだか…
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
配送の仕事
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
親とは口を利いてなかったので反応はナシ
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
はた万次郎さん
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
この人のエッセイ漫画を見て漫画家って楽しそうと思った
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
当時流行っていたブルセラビデオかなんかを買ったと思います
- デビューが決まった時の感想は?
俺の時代が来るな(いまだ来ず)
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
自分だけ絵が恐ろしく下手なんで驚いた
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
特にナシ
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
月イチくらい
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
特にナシ
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
苦労じゃないけど、編集は皆いい大学を出てるので、こいつら内心俺の高卒をバカにしてるんじゃないかと思った(まぁ確実にバカにしてるとは思うけど)
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
主に電話
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
旨いものをいっぱい食わせてくれた
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
いない
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
特にナシ
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
思ってる事がうまく描けない(今でもそう)
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
100点
- またその理由は?
言いたい事が描けている
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
暗い青春時代
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
参考になりましたか?
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1997年ヤングマガジン増刊号赤BUTA(講談社)にてデビュー。
翌年、ヤングマガジン(講談社)において『おやすみなさい。』連載開始。 (現在、宙出版・ミッシィコミックスにて発売中)
2001年、『コギャル寿司』で文藝春秋漫画賞受賞。
近刊は『レッツ笹原』(FOX出版)、『小田原ドラゴンくえすと!』第1巻〜第2巻(小学館)。
連載中の作品は以下の通り。 『ホスト一番星』[ビジネスジャンプ(集英社)] 『小田原ドラゴンくえすと!』[ヤングサンデー(小学館)] 『スリーナイツ』[ヤングマガジン(講談社)]。
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