【奥浩哉先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
1988年ですね
- デビュー作のタイトルは?
『変』です
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
男子高校生の主人公が謎の奇病をうつされて女になってしまうという話です
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
性転換していくシーン。リアルなシーンにしたかったんです
- デビューした雑誌は?
「週刊ヤングジャンプ」です
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
青年漫画大賞に投稿。準入選をとり、本誌掲載となりそれがデビューとなりました
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
漫画家は小学校の頃からずっとなろうと思っていたのですが、
そこから考えると14年くらいですか?
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
ちゃんと漫画原稿の形で仕上げたのは2回目でした
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
漫画のアシスタントでした
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
はい
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
考えていませんでした
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
素直に応援してくれました
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
目標はいませんが、影響を受けた作家さんはいっぱいいます。
手塚治虫先生、大友克洋先生、高橋留美子先生、池上遼一先生など
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
絵柄、キャラクター、ストーリー、演出などですね
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
生活費ですかね
- デビューが決まった時の感想は?
あまり覚えてません
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
ちょっと、恥ずかしかったです
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
特にありません
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
一作品に1時間くらいですかね
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
他人の意見が聞けたこと、表現の規制など
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
打ち合わせの日に旅行に行ってたらしく、結局来てくれなかった
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
編集部の近くの喫茶店で雑談。ネームをみてもらい感想をきかせてもらう
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
一番長かった担当さんに海外旅行にいっぱい連れていかれました
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
ライバルではありませんが、同じ担当さんの若い漫画家さんがいっぱいいて、
よく一緒に遊んでました
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
デビューの頃というより、小学校の4年生の頃から人物の自然な動きを描ける練習や、
男性、女性、動物メカなど、あらゆる絵を描いていました。
小説、漫画、アニメ、映画、テレビなど あらゆるものから、面白いものを
探して見てました
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
特にありません
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
30点くらいですかね
- またその理由は?
絵が稚拙だから
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
漫画家になると思いこみ、そのための努力をちゃんとすること
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
他人と自分の描きたいことのバランスをとって楽しく描いて、
一生食べられるように頑張って下さい
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1967年、福岡県生まれ。
1988年、応募作「変」で第19回青年漫画大賞準入選(ペンネームは久遠矢広)。1992年、変[HEN](週刊
ヤングジャンプ)でデビュー。
2000年より現在連載中の「GANTZ
-ガンツ-」(週刊ヤングジャンプ・
現在連載中)を連載開始。
その作風は極精密で、Macintoshによる3DのCGを最初期に使用した漫画家の内の一人である。
また、暴力や性的描写など、人間の欲望や衝動といった心理描写において、非常に優れた表現に定評がある。
ちなみに、自他共に認める巨乳好きであり最も好きな映画は『ダイ・ハード』。
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