【小山田いく先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
"小山田いく"としては'80年1月です。
('79年に、小学館ビッグコミック増刊に本名での掲載作品がありますが、習作という感じでデビュー作という思いがありませんので)
- デビュー作のタイトルは?
『12月の唯(ゆい)』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
転校の決まった少女と、そのボーイフレンドとの別れの痛手を、少しでも軽くしてやろうと同級生がドタバタを繰り返す学園コメディー
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
友情……のつもりだったのですが、今読み返してみると意図不明です
- デビューした雑誌は?
週刊少年チャンピオン(秋田書店)
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
少年チャンピオン新人漫画賞 第13回佳作
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
13年目です
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
13作目です
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
印刷会社社員でしたが、体をこわして退職した直後でした
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
小学生のころから、ずっと漫画家を目指していました
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
……さあ……
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
しようがない……という感じでしたでしょうか
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
手の届く目標ではありませんが、憧れは永井豪先生です
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
ギャグからバイオレンス、SFまで描ける世界の広さに憧れていました
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
生活費だったはずです
- デビューが決まった時の感想は?
「やっとスタートラインに立てた」。うれしいというより、ホッとしていました
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
プロの方々と並べられているのが怖くて、本が届いてから3日ぐらい自分の作品のページが開けませんでした
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
デビュー当時の担当さんから「子供たちがとぼしい小遣いの中からお前の漫画を読むために金を払ってくれてるんだぞ。子供だけは騙すなよ。子供たちが出した小遣いの分以上に楽しませてやらなきゃクズだぞ!」と言われました。このときから読者を意識して描けるようになった気がします
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
一作品につき、2〜3回電話で話すぐらいでした。かなり自由に描かせてもらったと思っています
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
アシスタント経験もなく、すべて自己流でしたので、一から教えてもらったようなものです
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
会おうと思うと、列車で片道2時間半かかったことです
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
ほとんど郵便と電話でした
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
2年目のころ、担当さんが車で原稿を受け取りに来てくれたとき、折悪しく台風の直撃で道路が寸断されて原稿は仕上がったのに半日以上東京へ戻れなかったことがありました
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
地方にいるので、ほとんどほかの漫画家さんとの付き合いはありませんでした。年に一度出版社が主催するパーティーでお会いするぐらいでしたが、同じ回の新人賞で入選なさった神矢みのるさんは、年齢的にも技術的にも兄貴的存在で、楽しくいろいろ話せました
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
デビューしてからすぐ週刊連載に追われてしまい、勉強する時間もないありさまでした。
でも昔から読書好きでデビュー前からかなり読んでいたさまざまな本の知識がかなり役立ちました
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
何年漫画家でいられるのかなあ……と
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
100点
- またその理由は?
あの時点の自分ではあれが最良だったと今でも思っています
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
デビューできるかできないかは、描く側が決めることではないので何ともお答えしようがないというのが正直な気持ちです
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
デビューというのはあくまで通過点のひとつにしかすぎないと思います。それより今考え得る"自分が描ける最高の作品"を常にイメージして、それを目指して毎日描いていくこと……。そうすれば気がついたときには漫画家になっているんじゃないかな? −−−−ごめんなさい! とりとめのないひと言で
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1956年生まれ。幻しのデビュー作「菩薩」で第4回小学館新人コミック大賞。その後、1979年に本名の田上勝久名義で描いた『五百羅漢』で漫画家としてデビュー。1980年に長野県小諸市の中学校を舞台とした青春群像『すくらっぷ・ブック』で一躍人気を博す。学生生活、地方の人情をテーマにし作品を得意としつつ、近年はミステリー・サスペンス・ホラーなどの分野にも進出。長野県小諸市に在住しながら、ますます旺盛に創作活動を行う。今年2月からは、多彩な執筆活動を網羅した『小山田いく選集』(ブッキング刊)の刊行が始まっている。
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