【鈴木一世先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
2005年6月、22歳の頃です。
それから……2001年1月、17歳の頃にも、ちょっとプチデビューみたいなのを
してます。これは賞金に目がくらんで……(笑)
- デビュー作のタイトルは?
『ゲヘヘのヌベコ』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
ブスで下品な女のコが出てくるラヴコメ
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
悲しくないのに泣けるマンガ
- デビューした雑誌は?
『別冊ヤングマガジン』。プチデビューの方は『月刊少年ガンガン』
……「2Pでギャグをやってみないか」っていう。(賞金5万円)
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
ヤンマガの月間新人賞に投稿して佳作をいただいた後、担当さんにネームを
見てもらえるようになって、そこから原稿を描いて、「編集会議」っていうのを
やっていただいて、『別冊ヤンマガ』に載せていただきました
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
……十数年くらい
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
10作目くらい
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
フリーターでした。警備員、牛丼屋、コンビニ等。それから…ロクにカネもないのに、
純金に投資したりして。ほとんど無職でした
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
目指していました。毎日がヒサンでヒサンでヒサンで……。
上京してさ、世の中に「自分」というものがね、こんなにも通用しないとは
思いませんでした。毎日、水を多めに飲んでさ、1時間に1回トイレで
オシッコするのが、一番の楽しみでした。私のような人間は、せめて何とか
漫画家にならねば、世界中のだァ〜れも相手にしてくんないよ。そう思いました
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
漫画家以外考えてなかったんですけど…デビューしていなければ……やっぱり
ホームレスになっていたでしょう。ホームレスをやりながら株をやるっていう
ライフスタイルも考えてました
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
喜んでました。しかし、「新人賞で佳作を取ったマンガの方が良かった」とも
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
梶原一騎。原作者ですけど
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
地熱のような熱いセリフ! ヒットした作品数!
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
生活費です。また純金に投資したり……ほとんどムダな抵抗でした
- デビューが決まった時の感想は?
ちょっと信じられませんでした。本当に載るのか……。
雑誌が出る直前になって「いろいろ都合があって、やっぱり載りません」とか
言われるんじゃないか?…とか思ったり。何をやってもうまくいかない時期でしたから、
他者の言うことも信じられなかったのです
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
「え〜〜!? 雑誌のこんな後ろの方かよ!」
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
大きな変化はありませんでしたけど……。原稿と、雑誌に載った姿とでは
ちょっと印象が違いますんで、「もうちょっと線を太くしようかな…」とか思ったり
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
3週間に1回くらい。こりゃノンビリしすぎですな
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
「オレは……あなたの保護者じゃないんで」言われました
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
とにかくね、「編集者」ってものがどんなものか分からなかったことですよ。
どんなものか分からないんで、どう付き合ったらいいのか分からない。
で、向こうは「知ってて当然」みたいなカオしてるでしょ。
こっちが「30の質問」したいよ(笑) でもね、質問したらなんでも答えてくれますよ
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
今でも同じなんですけど、編集部の中の机とイスがある場所で。
私なんて、いまだほとんど持ち込みと同じですよ。電話で私が「ネームできました〜」
って言うと、担当さんが「じゃあ〜…水曜日の3時に来てください」とか言う。
で、私が巣鴨から自転車で行くんです。それで、そのネームが「面白い」って
判断されればいいんですけどもね、「面白くない」とか「分かりにくい」とか
言われたら、場合によっては「じゃあ、ボツにしましょう」って言います。私の方から。
そういう時って、自分も心のどこかで「ちょっとイマイチなもの描いちゃったかな?…」
って思ってるものなんです。それを担当さんに看破されるわけ。
「このネーム、最初の数ページだけ面白いですね」ってこともあったりして、
そこから「じゃあ、どうやったら面白くなるかな」って話し合いになるんです。
2時間くらい。編集部の中は緊張するけど、できるだけリラックスを心掛けます。
デビューの頃から現在まで、同じやり方です
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
笑える話。「寄居(よりい)にはよく行くんですか?」って聞かれたんです。
担当さんから。私の出身が埼玉県で、「寄居」って所があるんですけども。
私「いえ、行ったことないです」
担当「寄居にはね……特撮の戦隊モノの爆発シーンでね、よく使われる山が
あるんですよ。オレは何度か行ったことあるんだけど」
担当さん、当時36歳でした。
私「へえ……お子さんがいらっしゃるんですね」
担当「いえ……オレの個人的な趣味で…」
その時、初めて担当さんをフツーの人間と思えたんです
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
たくさんいます。私、「日本マンガ塾」っていうのを出てまして……。
それと、高校の頃漫画部でして……。漫画家を目指してる友人がたくさんいます。
皆、自殺しないで頑張ってます。
それから、ヤンマガで『ガキジャン』を描いてらっしゃる佐々木昇平さんを、
勝手にライバルだと思ってます。でも、向こうは私のこと、どう思ってるんだろう……
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
一日最低2時間は本屋で立ち読みしよう、と。出版業界の敵ですな(笑)
その頃のなごりで、家で本を読む時でも、つい立っちゃう。オ○ン○ンじゃないよ(笑)
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
特にありませんでした。……先のことが分からないから、悩みようもなかったんです
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
85点
- またその理由は?
笑えるし、泣ける。ずいぶん感情を込めて描きました。
……恥ずかしいんだけども、あれは実話を元に描きました。
神経失調気味な絵も、あれはあれで中々……でも、ヘタだからマイナス15点。
あれが単行本の1話になるとは思わなかったんだけど……。
まあ、記念だし、直さずそのまま載せました。あれがデビュー作で本当に良かった
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
わかりません。友人で何人か、私より漫画描けそうな人がいるのに、なかなか
デビューできません。……現在の私が、現在の実力のまま、もしデビュー前に戻って
「さて、今からデビューするぞ!」と思ったとしても、すぐにデビューできる
自信はありません。デビューだけは……特別なものだと思います。「攻略法」が
私には見当たりません。ただ、ヒサンな状況から何とか抜け出そう、とは思ってました
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
持ち込みか投稿をしましょう
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埼玉県出身。
高校時代は漫研に所属。高知県などが主催する「まんが甲子園ブックバージョン」で「三浦みつる賞」なるものを獲得したり、「月刊少年ガンガン」(スクウェア・エニックス)の投稿漫画勝ち抜き企画でプチデビュー(ちなみに1回戦敗退……)したり。が、「やっぱり地元だと集中して漫画が作れん」と、本格デビューを目指し上京。約半年後に、「ヤングマガジン」(講談社)月間新人賞を『厚化粧伝 ヌベコ』で見事受賞する。
そして2005年。「別冊ヤングマガジン」(講談社)にて『ゲヘヘのヌベコ』が掲載。その後、同作を本誌ヤンマガにて不定期掲載し、2007年10月にはついに単行本化! 現在もギャグ漫画家の急先鋒を任じるべく、稀代の怪キャラ・ヌベコを神出鬼没に跳梁跋扈させている。
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