【田邊 剛(タナベ ゴウ)先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
2003年
- デビュー作のタイトルは?
『砂吉』(すなきち)
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
少年が爆弾を使って地下から地上に逃れる話です。
ドラマの作り方がわからずに主人公は勢い余って
地上どころかあの世に行ってしまいました
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
逃避と破壊と逃走
- デビューした雑誌は?
「月刊コミックビーム」(様)
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
「四季賞」「コミックビーム新人賞」に応募
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
5年
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
26作目
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
郵便配達
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
本気です
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
工務店、内装業者、マネキン会社
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
喜んでました。
祖母に無理やり万歳させた事を
覚えています
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
目標としていた先生は
大友克洋先生、諸星大二郎先生、平田弘史先生
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
世界観とスケール、表現力、知識、根性
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
次の作品を描くための道具と資料
- デビューが決まった時の感想は?
「やっと出来た!」と思いました
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
恥に近い照れがありました。もっと作品をよくしたい、と思いました
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
読者について考えるようになりました
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
月一で2時間。(コミックビーム)
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
技術的な事を学べた事
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
力不足
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
面会、電話、取材、電子メール
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
ご飯を御馳走になった上に愚痴を聞いてもらえた事。
励ましてくれた事
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
いませんでした
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
映画や漫画を読んだ後、寝ながら頭の中で再生してみたり、
100年前に書かれた小説を読んだりしました
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
うまく表現出来ない技術的な事
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
100点
- またその理由は?
ベストを尽した=100点
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
ネームを完成させる事、編集者に対しての信頼、ねばり
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
頑張ってください
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田邊 剛(タナベ ゴウ)
江戸川区小岩在住。
2003年「アフターヌーン」四季賞で『砂吉』(すなきち)が審査員特別賞を受賞。同作にてデビュー。
2007年『アウトサイダー』『累(かさね)』を「コミックビーム」(エンターブレイン)から発表。
空間を凝縮したような濃密な画風にファンが多い。
骨の髄までタナベワールドを堪能できる『ゲニウス・ロキ 異形建築家阿修羅帖控』が、現在「コミックリュウ」(徳間書店)にて不定期連載中です!
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