【上西淳二先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
1997年くらいです
- デビュー作のタイトルは?
『てっちゃん』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
家出少年が訪れた街で、その地域の人気者「てっちゃん」と間違われ色々起こる話です
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
アイデンティティーの確立。とにかく主人公に何か叫ばしたかったですた
- デビューした雑誌は?
ヤングマガジン青ブタです
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
ちばてつや賞の優秀新人賞です
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
本格的に描き始めて3年くらいです
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
3作目です
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
アシスタントしつつ大学卒業間際のころです
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
目指してました。
東京の大学に入ったのも漫画家になるためでした
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
デビュー前は漫画家しか考えてなかったです。
周りが教員採用試験受験や就活しててもその時は他人事でした
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
見事に浮かれてましたね。知り合いに言いふらしたり、なんやかんや。
未来が見える機械があれば思い知らせてやれたのに‥‥‥
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
渡辺潤先生です
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
元々「代紋TAKE2」が大好きでアシスタントに入ったのですが、
下についてからは先生の人間性ですね。
僕の尊敬する師匠です
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
使った記憶はないけど、無くなってました
- デビューが決まった時の感想は?
待てよ‥‥‥‥金持ち決定か?
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
台詞が活字になると作品がグッとプロっぽく見えて嬉しかったです
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
デビューしてからの方が大変だという事を身をもって体験しました
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
週1回くらいで
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
漫画は編集と共に作っていくという意識を持てた事ですね
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
すぐに連載の話を頂いて、それを取りこぼしてから
全然前に進まなくなり、にっちもさっちもいかなくなって、
イラストの仕事を回してもらったりしました
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
ファックスでのやりとりと編集部でですね
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
その後別の雑誌社で別の担当と組むようになって、
ネームをファックスして電話したら
「今忙しいから、あと5分後に電話するね」と言われて電話を切ってから
もう3年以上電話がありません
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
渡辺先生です。
今でも事あるごとに子ども電話相談室のように相談に乗ってもらってます
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
無いですね。膝を抱えて妄想ばかりしてた事は結果役に立ってるかもしれませんが
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
マンガを描くという事について深く考えてませんでした、
そのツケを10年かけて払うはめになります
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
80点
- またその理由は?
ラストを無理矢理ハッピーエンドにした部分がマイナス20点
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
やる気元気井脇の井脇以外。
ホントやる気と元気をそのまま原稿に落とせば、
技術や構成とかは後からついて来るんじゃないでしょうか
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
自分自身、まだド新人ですし発言になんの説得力も無いです。
ただ自分に言い聞かせる意味で言うならば
グダグダ言わずに描け‥‥ですね
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1998年、講談社ヤングマガジン青BUTA増刊『てっちゃん』にてデビュー。
その後、渡辺潤氏らのアシスタントを経て、2007年・講談社イブニング新人賞「THE CHALLENGE」第3回にて、『MOON』が優秀賞を受賞。
受賞作の本誌掲載(イブニング07’ No.4)も好評を得、そしてついにイブニングNo.19より『イタダキッ!』を新連載開始。
パワー溢れた人間描写がスケールを感じさせる、2007年の注目星だ!
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