【うつろあきこ先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
1995年頃
- デビュー作のタイトルは?
『大人はわかってくれない』だったと思う
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
高校生の女の子の勘違いとかそんな感じの4コマ漫画だったような...
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
日常の中の勘違いやすれ違い
- デビューした雑誌は?
ぶんか社『まんがシャレダ』
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
新人賞に投稿して、一番下の「特別奨励賞」(5万円)というのをいただきました
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
半年くらい
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
2、3作目だったと思う
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
会社をやめたばかりで、バイトをしていた
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
本気でした。
でも今考えると今よりは本気じゃなかった気がする
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
はじめは編集者になろうと思っていました
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
状況をあんまりよくわかっていなかったと思う
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
近藤ようこ先生や内田春菊先生
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
日常の中の心のひだを細やかに描いているところ
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
なぜか全然覚えていない
- デビューが決まった時の感想は?
うれしかった
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
はじめて自分の漫画がパルコの「GOMES」(フリーペー パー)に載ったときは興奮して叫びだしそうでした。で、雑誌にデビュー作 が載ったのがその直後だったので、実はあまり覚えていないです...
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
漫画への愛が深まったと思う
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
描く前に一度会う、という感じ。
定期的に打ち合わせをするということはなかったです
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
その頃は担当者がしょっちゅう変わっていたので(社風?)その人によって 全然違った。 同じ作品でも、10人いれば10人違う感想を持つんだ、ということをその頃学びました
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
あまりないです
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
会ってちょっとしゃべる
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
ドレッドヘアの人と会う時はちょっと恥ずかしかった
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
デビュー後しばらくしてからできました
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
特にないです。でも学生時代とか漫画一筋でこなかったことが、逆によかっ たかなと思います
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
いつも悩んでいる。絵が下手なこととか、いろいろ
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
2点くらい?
- またその理由は?
今もひどいけど、デビュー作はそれ以上にひどかったから
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
なんだろ?何か言われても気にしないこころ
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
お互いかんばりましょうね...
|
|
1995年パルコのフリーペーパー「GOMES」に初めて漫画が掲載される。その直後にまんがシャレダ(ぶんか社)にて雑誌デビュー。現在、ショー トを 中心に、あらゆるメディアで幅広く活躍中。Kiss(講談社)で連載中の『3回まわって恋をして』は、パリコレ常連のスーパーモデル・いちこさん の、美 しさをムダ遣いしたカン違いラブが人気を博している。
著書に『ビューティー香取でお待ちしてます』(青林堂)『泣かないで子猫ちゃん』全2巻
(講談社 絶版)『お台所劇場』(JULA出版局)などがある。
|
|
|