【大島やすいち先生への30の質問】
- デビューはいつ頃ですか?
17歳。高校3年生
- デビュー作のタイトルは?
『青春の土』
- デビュー作の簡単なストーリーを教えてください
甲子園を舞台に、兄弟の絆を描いた読み切りです
- デビュー作でもっとも描きたかった事は?
特に…………
- デビューした雑誌は?
週刊少年サンデー(小学館)
- どのような形でデビューしましたか?(マンガ賞受賞作、持ち込み作など)
高1の時、中学生の頃描いた漫画を小学館新人漫画賞に送り、佳作に。そして、高2の夏休みにデビュー作となる作品を持ち込み、それを描き直したものがデビュー作になりました
- デビュー作はマンガを描き始めてどのくらい(期間)でしたか?
6年………? 小学生の頃から描いていたので………
- またそれは何作目ぐらいでしたか?
4〜5作目?
- その頃の本業(学生、フリーターなど)はなんでしたか?
高校生
- その頃は本気でマンガ家を目指していましたか?
はい
- もしマンガ家としてデビューしていなければどんな仕事につくつもりでしたか?
大学生→会社員。アニメーター?(笑)
- マンガ家デビューの際の家族の反応はいかがでしたか?
高校生でデビューしたから、家族の反対はナシ
- 目標としていたマンガ家さんがいたら教えてください
ウォルト・ディズニー。東映動画
- そのマンガ家さんのどこにひかれていましたか?
絵が素晴らしい
- デビュー作の原稿料または賞金は何に使いましたか?
覚えてないです
- デビューが決まった時の感想は?
高校生だったから、プロ意識はなく、気楽に考えてました
- デビュー作が実際に雑誌に掲載された時の感想は?
うれしかった……くらい
- デビュー前後でマンガに対する考えかたに変化はありましたか?
ありました(話せば長くなる……)
- デビューの頃、編集者と打ち合わせをどの程度していましたか?
“編集者”という人がどういうものか知らなかった
- その頃編集者との打ち合わせでためになった事は?
漫画のノウハウをすべて編集者に教えてもらった
- 逆に編集者との打ち合わせで苦労したのはどんなときですか?
“打ち合わせ”がどんなものか分からなかった
- 編集者との打ち合わせなどはどのような形でしていましたか?
電話……? 特に形がなかった
- 編集者とのつきあいで思い出に残るエピソードがありましたら教えてください
「死ぬ気で漫画を描け」と言われた
- デビューの頃、良きライバルとか、語り合えるマンガ家さんはいましたか?
いません
- デビューの頃、マンガ家として成長していくために特に何かした事、勉強した事などはありますか?
中・高をハンドボール部に入っていた
- デビューの頃、マンガ家として特に何か悩んだ事などはありますか?
すべてが悩み
- デビュー作を今の自分が再評価すると100点満点中何点?
デビュー作としては100点。今採点すると、20点
- またその理由は?
アマチュアだから
- マンガ家としてデビューするために必要な事はなんだと思いますか?
漫画が好きなこと
- これからマンガ家を目指す人達になにか一言
「向上心」
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1954年生まれ。京都府出身。
1971年、「週刊少年サンデー」(小学館)にて『青春の土』でデビュー。
数々の作品を同誌で発表したのち、1977年より連載開始した『おやこ刑事』がドラマ化になるヒットに。そして活躍場所を変え、「週刊少年マガジン」(講談社)にて連載開始した『バツ&テリー』が大ヒット。1984年、同作品で第8回講談社漫画賞を受賞。
その後も精力的に作品を発表し続け、主戦場を青年誌に移してからも、精緻かつ大胆なタッチと誰もが唸る漫画技巧で、あらゆる漫画ファンを魅了してやまない。
最新作に『武田二十四将』(「コミック乱」リイド社)
HPはこちら↓
http://www.y-oshima.jp/
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