●デビューしたころに、目標にしていた原作者とか、
 こういう原作ものを描いてみたいと憧れた漫画はありましたか?


俺がデビューしたときは、
梶原(一騎)先生、小池(一夫)先生、牛次郎先生。
だいたい3人ががんばってて、
そのとき、俺とやまさき十三さんと雁屋哲さん、
そのへんが新人として出て来たときだから、
人のものよりも、とにかく自分が何を書くかってことしか
考えてなかったからな。

梶原先生と小池先生はもう確立してたからね、
自分のものをね。
同じものを書いても、多分使ってもらえないだろうから、
違うものをってのはどこか頭の隅にあったろうけどね。
とにかく、自分の世界、人とは違う世界を、
作らないことには生き残れないぞ!みたいなとこがあったから…。

でも、まだその3人ぐらいしか、名前の通る人がいなかったから、
そういう意味では入りやすかったけどね。
仕事的には、可能性があるわけじゃない。
いいものさえ書けば生き残れる可能性はすごくあったから、
とにかく、違うもの、新しいものを書こうっていう
意識はあったけどね。

(漫画家さんの場合、誰かに憧れて作風が似たりとかしますが、
 そういうのはなかったのですか?)


自分のオリジナルをっていうほうが強いね。

むしろ、梶原先生も否定して、小池先生も否定して…、
とりあえず肯定しちゃったら、
ものを作れないってところがあるじゃない。
とにかく違うものをって思ってたから、
どっかで否定してたかもしれないね。
今だから言えるけど。

認めちゃったら…、
梶原先生すごい、小池先生すごいって言ってたら、
それ以上のものは出ないからね、多分。

だから、絶対に真似しないようにって、
似ないように似ないようにって…、
ところがさ、あの二人はあらゆる世界書くでしょ(笑)、
こっちは大変だよね。
だから、結局生き残ってきたのは、
俺が『ドーベルマン刑事』で、あーいうハードボイルド物でしょ。
で、十三さんは『釣りバカ日誌』でしょ。
雁屋さんは『美味しんぼ』でしょ。
ほら、全部違うところでいってるわけ。
結局、違うものでなければ生き残れないって感じがあったね。

多分…、多分勘だけど、雁屋さん、十三さんも
小池先生、梶原先生の作品はどっかで否定して
書いてたと思うよ。

認めてるけど、すごいなと思いつつも…、
同じものを書いちゃダメだというのがあるからね。
どっかで否定しなきゃいけないって、
そういう気で書いてたと思うけど。

【編集メモ】

*『釣りバカ日誌』1980年〜 小学館 ビッグコミックオリジナル 漫画/北見けんいち
*『美味しんぼ』1983年〜 小学館 ビッグコミックスピリッツ 漫画/花咲アキラ


(編集の立場だとどこか似たようなものを求めたりもしますが…)

ああ、みんなに言われたよ。
梶原先生流でやってくださいとか、
小池先生流でどうですかとか。
それはまあ仕事だから、はいとは言うけど、
どっかで違うもの違うものと思ってなければ、
残れないんじゃないかな。

少年誌…、
特に講談社なんかは、梶原先生みたいなものってくるわけ。
だから、最初に来た講談社の仕事、プロレス物だったりしたでしょ。
いわゆる、梶原先生にはなれないけど、
梶原先生みたいなものは欲しいわけだよ。
そういう原作者を…。
多分、使う側も梶原先生みたいなものでいいわけ。
梶原先生を超そう超すまいじゃなくてね。

編集のほうはそう言ってくるからね。
やっぱり、その中でも自分のオリジナル色を出していかないと
いけないってのがあったからね。
青年誌なんかに行くと今度は、
小池先生流のこういう感じはどうですかとかね、
殺し屋の話はどうですかとかいう感じになるでしょ。
どっちかって言うと、
俺、少年誌のデビューだから、梶原先生流のほうが仕事はくるよね。


●他の原作者に対して、羨望であったり、
 作家としてのジェラシーみたいな感情をおぼえるときがあるとしたら、
 どういうときでしょうか?


うまい書かれ方したなってときは、やっぱりあるよな。
なんで俺、これ先に書かなかったんだろうっていうのもあるし。

特に、小池先生なんか見てるとさ、
すっごい情報量っていうか、
あらゆる世界が…、
特に時代劇なんかだとさ、深く見えるわけ。
そうすると、あ、やっぱり勉強しなくちゃいかんのかなと思いつつも、
俺はできねえ、勉強しないから(笑)。

でもまあ、やっぱり認めてるけど否定するってことは、
いずれ越えてやるぞというギラギラしたものはあったからね。

暮れのパーティーなんかで必ず真ん中の一番いい席に
お偉いさんなんかが固まってるでしょ。
俺ら新人なんかはそこに近づけなくって、
隅っこのほうで若い編集と飲んでるわけ。
そんときに向こうのほうちらっと見て、
いずれ絶対あすこへ行ってやるって(笑)さ、
それはあるよ!
そういうギラギラがないと、
梶原先生みたいなものを書いてくださいって言われたら、
梶原先生流のものを書いてただろうし、
小池先生風のって言われたら小池先生風のを書いてただろうから…、
そうなったらそこへ行けないよね、
結果的に亜流なわけだから。
だから、やっぱり腹の中でギラギラしてて、
いずれ!っていう気持ちがあったから、
うん、なんか生き残れたかなって感じはあったけどね。

雲の上の人だったからね。二人ともね。
やっぱり近寄るのおっかなかったよ。
小池先生はチームは違うけど野球やったり、ゴルフやってたから
そんなでもないんだけど、でもやっぱりため口はきけないでしょ。
梶原先生にいたってはもう、声もかけられないよね。


前のページへ 《 02/04 》 次のページへ